クサンテン考古学公園 超広大な敷地にローマ遺跡を復元| キッズエリアもローマ城塞風| デュッセルドルフから車で45分

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クサンテン考古学公園 アイキャッチ

デュッセルドルフから車で約45分、オランダとの国境に近い街クサンテンにある考古学公園に子連れで行ってきました。

やたら広大な敷地に古代ローマ時代の闘技場や神殿などが復元されており、想像以上に面白くて大人も子どもも楽しめる施設だったので、見どころを紹介します。

目次

クサンテンって?

クサンテンの起源

クサンテン(Xanten)という名前を聞いたことがある人は少ないと思います。クサンテンはドイツ西部ノルトライン=ヴェストファーレン州のライン川沿いにある人口2万人ほどの小さな街で、かつて古代ローマ帝国の植民都市だった場所です。

今から2,500年~2,000年ほど前、ざっくり言うとライン川の東側はゲルマン諸部族が住んでおり、西側のガリア(今のフランス)はローマ帝国が支配していました。この時代、ゲルマン人とローマ軍はライン川を越えて度々互いの領地に進入し、激しい戦いを繰り広げていました。

ローマ軍団

ゲルマン人との戦いの前線基地として、ローマ軍はライン川の左側に軍事要塞を作りましたが、それが現在のクサンテンの起源です。ローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスは、ライン川東側を平定すべく数万人規模の軍を派遣しましたが、トイトブルクの戦い(紀元9年)でゲルマン人に敗れ敗退。ライン川の左側に後退せざるを得ませんでした。

その後は4世紀後半にゲルマン民族大移動が始まるまで、ライン川~ドナウ川がおおむねローマ帝国とゲルマン勢力の国境になりました。

ローマ帝国の防衛前線都市に

こうしてライン川はローマ帝国の防衛ラインになったわけですが、その最前線にあった現在のクサンテンは、紀元110年頃にローマ帝国のコロニア(植民都市)として正式に認められました。都市の名前はColonia Ulpia Traiana(コロニア・ウルピア・トライアナ)となり、広さは約73ヘクタール(東京ドーム16個分)で約1万人の住民が暮らしていたと言われています。

住民にはローマ市民権が与えられ、街全体がローマをモデルに発展していきました。ローマ帝国の海外領地ではおなじみの闘技場や浴場なども、この時代に建設されました。

しかし繁栄は長くは続かず、3世紀後半頃にローマ帝国が衰退していくと共にゲルマン人やフランク族に侵攻され、ローマ時代の遺跡もほとんど滅びてしまいました。

遺跡の発掘と復元

クサンテン考古学公園

その後も時代と共に支配者が何度も入れ替わりましたが、19世紀のプロイセン王国時代に遺跡の発掘や保全がスタート。発掘は第二次大戦後に本格化し、1977年にはかつてコロニアがあった土地に現在の考古学公園が建設されました。

なお、クサンテン(Xanten)という言葉はドイツ語らしくない響きですが、その語源はラテン語で聖者たちの場所を意味する”Ad Sanctos”にあるようです。

また、クサンテンをはじめとしてローマ帝国の国境線に築かれた要塞や城、砦の総称はリーメスと呼ばれますが、ライン川沿いのいわゆる「低地ゲルマニア」にあるリーメスは、クサンテンも含めて2021年に世界遺産に登録されています。

クサンテン考古学公園について

クサンテン考古学公園

基本情報

クサンテン考古学公園は、かつてのローマ軍事要塞の跡地に造られたオープンエア形式の公園で、ローマ時代の建築物がリアルに復元されています。

基本情報
  • 施設名称:クサンテン考古学公園(LVR Archäologischer Park Xanten)
  • 住所:Bahnhofstraße 46-50, 46509 Xanten
  • 公式HP:https://apx.lvr.de/en/willkommen/willkommen_1.html
  • 営業時間:
    • 3月~10月:9:00~18:00
    • 11月: 9:00~17:00
    • 12月~2月: 10:00~16:00
  • 入場料: 大人18€、18歳未満の子ども無料(2025年3月時点)
  • 駐車場:無料の屋外駐車場あり

アクセス

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