「ポツダム会談」の舞台となったベルリン郊外のツェツィーリエンホーフ宮殿を2024年10月に訪れたので、最新の展示内容と見どころなどをご紹介します。
ツェツィーリエンホーフ宮殿は、ポツダムを代表する観光地であるサンスーシ宮殿からも近いので、併せて訪問するのがおすすめです。
サンスーシ宮殿の見どころは以下の記事をご覧ください。
ツェツィーリエンホーフ宮殿について
宮殿の沿革
ツェツィーリエンホーフ宮殿(Scholoss Cecilienhof)は、ドイツ皇帝・プロイセン国王であったヴィルヘルム2世が、息子の皇太子ヴィルヘルム・フォン・プロイセンと妃のために建設させた宮殿で、1917年に完成しました。宮殿の名前は、皇太子妃ツェツィーリエからとったものです。
1945年5月にナチスドイツが連合国軍に無条件降伏すると、ベルリン近郊にあったツェツィーリエンホーフ宮殿はソ連軍に占領・接収されました。
同年7月には、米英ソの首脳が集まって第二次世界大戦の戦後処理を話し合う「ポツダム会談」がツェツィーリエンホーフ宮殿で開催されたことで、世界にその名が知られることになりました。
日本では会談そのものよりも、大日本帝国に無条件降伏を勧告した「ポツダム宣言」が有名ですね。
基本情報
ツェツィーリエンホーフ宮殿の基本情報は次のとおりです。
- 施設名称:ツェツィーリエンホーフ宮殿(Schloss Cecilienhof)
- 住所:Im Neuer Garten 11, 14469 Potsdam
- 公式HP:https://www.spsg.de/schloesser-gaerten/objekt/schloss-cecilienhof
- 開館時間: 火~日曜日は10:00~17:30、月曜定休。
- 入場料(2024年10月時点)
- ツェツィーリエンホーフ宮殿のみのチケット: 大人12€、学生(7歳以上)8€、6歳以下の子ども無料。
- サンスーシ・プラスチケット*: 大人22€、学生(7歳以上)17€、6歳以下の子ども無料。
*サンスーシ宮殿など周辺の主要観光施設にも入場可。詳細は公式HPを参照。
行き方
公共交通機関で行く場合
ベルリン中央駅(Berlin Hbf)から行く場合はいくつか経路がありますが、一番歩く時間が少ないのはSバーンのS7またはRE1/RB23でポツダム駅まで行き、トラム(路面電車)の92または96に乗り換え、さらに603番のバスに乗り換える方法です。
道路工事などにより経路は随時変わるので、詳しくはGoogle Mapなどを参照してください。
車で行く場合
車で行く場合は、ベルリンの中心部から約1時間弱です。宮殿の敷地内に有料駐車場があります。
ツェツィーリエンホーフ宮殿の見どころ
建物の外観
駐車場&バス停から歩いて宮殿の敷地内に入ると、このようなかわいい塔が出迎えてくれます。
先に進むと、宮殿の建物全体が見えてきます。宮殿のつくりはイギリスの別荘スタイルを取り入れており、1階はレンガと砂岩の構造、2階以上は木組みで造られています。
チケット売場は、建物の入口を入って左側にあります。
なぜここでポツダム会談が?
チケットを購入して宮殿の内部に入ります。赤いじゅうたんが敷かれていて、格調の高さを感じます。
先に進むと、まずはツェツィーリエンホーフ宮殿の模型が展示されています。説明によると、宮殿には全部で176もの部屋があるようです。
そもそも、なぜツェツィーリエンホーフ宮殿でポツダム会談が開かれることになったのでしょうか。
第二次世界大戦中にヨーロッパの大部分を侵略・占領していたナチスドイツは、1945年5月にアメリカ、イギリス、ソ連を中心とする連合国に無条件降伏しましたが、戦後処理の様々な問題については連合国内でも大きな意見の隔たりがありました。そこで、主要3カ国(米英ソ)の首脳が直接集まって議論するための会談が開かれることになりました。
本来は首都ベルリンで開催するのが自然ですが、ベルリンは大戦末期に激しい空襲を受けて大きな施設は壊滅状態だったため、比較的被害が少なく、ベルリンからも近いポツダムで行われることに。そしてポツダムの中でも、施設の規模や格式の面でふさわしいツェツィーリエンホーフ宮殿が会談場所として選ばれることになりました。
ちなみに、米英ソと共に降伏後のドイツを分割統治していたフランスもポツダム会談への参加を望んでいましたが、ソ連が拒否したため、参加が認められなかったと言われています。
ポツダム会談は1945年7月17日から8月2日まで行われ、アメリカからはトルーマン大統領、イギリスからはチャーチル首相(途中で新首相アトリーに交代)、ソ連からはスターリン書記長が参加。このほか3カ国の外務大臣や軍の幹部などが多数参加するという、大規模な会談になりました。
終戦前後の重大な出来事を記した年表がありました。一番上がヨーロッパ戦線、真ん中が太平洋(日本)、下が中東に関するものです。
日本は、ヨーロッパで同盟国ドイツが降伏した後も太平洋戦争を続けていましたが、1945年8月14日にポツダム宣言を受諾したことで、戦争が終結しました。
歴史の教科書で必ず出てくるポツダム宣言は、ポツダム会談開催中の1945年7月26日に米・英・中華民国の連名で発出された、日本に無条件降伏を求めた宣言です。なお、ポツダム会談の主な議題はヨーロッパにおける戦後処理であり、日本への対応は正式な議題には含まれていませんでした。
3カ国首脳の控室
ツェツィーリエンホーフ宮殿には、米英ソの3カ国首脳が控室として使っていた部屋が当時のまま残されています。
ソ連の控室
まずはソ連のスターリン書記長が使っていた部屋を見てみましょう。
暖炉の上に絵画が1枚かけられているだけで、これといった調度品はなく、とてもシンプルな造りです。それもそのはず、スターリンは自身の控室について、出来るだけ質素にするように指示していたようです。
応接用(?)のソファもありました。こちらにも特に調度品はありません。
ちなみにスターリンは自身の安全について非常に警戒しており、モスクワからポツダムまで、15,000人の兵士に警備させながら装甲車両で会場に向かったようです。
スターリンの控室を出た先の廊下には、各国代表団幹部の等身大パネルが置かれていました。
左から2番目の人物はアメリカの陸軍参謀総長だったジョージ・マーシャルで、戦後の西ヨーロッパ復興計画「マーシャル・プラン」で有名な人ですね。ポツダム会談に参加していたことを初めて知りました。
イギリスの控室
続いては、イギリスのチャーチル首相と、その後継であるアトリーが控室として使っていた部屋です。
シャンデリアや絵画の額縁が、明らかにスターリンの部屋よりも豪華です。
イギリスとアメリカの首脳は部屋の内装について注文が厳しく、当時宮殿を管理していたソ連は、要求に応えるべく豪華な絨毯や絵画、他の宮殿から取り寄せた高価な調度品などを揃えたようです。
アメリカの控室
最後は、アメリカのトルーマン大統領の控室です。
ソ連とイギリスの控室に比べて、かなり広いスペースです。今まで見てきた部屋の2倍ほどの大きさです。
控室には階段もありました。立入禁止になってましたが、もしかしたら2階部分も控室として使っていたのかもしれません。アメリカは別格の扱いですね。
会議場
実際に米英ソの3カ国首脳による会談が行われた、宮殿中央にある会議場を見ていきましょう。天井が高く、窓からは日の明かりが差し込み、開放感がある空間です。
中央の丸テーブルは、モスクワで製作された特注品とのことです。
よりアップで見ると、ひときわ大きな椅子が3脚あるのが分かります。それらが各国首脳が座っていた椅子で、右隣には外務大臣、左隣には通訳がそれぞれ座っていました。
各席には灰皿が置いてありますが、当時は重要な首脳会談でもタバコを吸いながら行うのが当たり前だったんでしょうね。
なお、会議の議長はアメリカのトルーマン大統領が務めました。
会談の様子を再現した映像もありました。タブレットを操作して、色々な情報を見ることができます。
会議の合間にスターリン(左)、トルーマン(中央)、チャーチル(右)が談笑する写真がありました。
ただし実際には、ポツダム会談では米英とソ連の間で利害や意見の対立が大きく、交渉は難航を極めたようです。
ドイツの占領政策、賠償、ドイツに占領された領土の回復と国境確定など様々な問題を話し合う中で、ヨーロッパ復興を優先するためドイツに対して比較的寛大な姿勢を示していた米英に対し、ドイツに厳しい処罰と賠償を求めていたソ連との間で激しい意見の対立がありました。
そしてその対立構造が、そのまま東西冷戦に引き継がれていくことになります。そのため、ポツダム会談は第二次世界大戦の終わりのシンボルであると共に、東西冷戦の始まりの象徴とも言われています。
多くの利害の対立を抱えながらも、3カ国が一応の妥協点として合意した内容は、「ポツダム協定」として採択されました。スターリン、トルーマン、アトリーの3人が署名した原本のコピーが展示されています。
中庭
会議場には、3カ国の首脳がそれぞれ別々の入口から入場していたようです。こちらはイギリスの入場口があるアトリウムで、実際にチャーチルが会議場に入ってきた時の写真が飾られています。
その反対側には、宮殿の中庭が見えます。
中庭の芝生と植木は大変きれいに手入れされており、素晴らしいコンディションを保っています。中央に植えられた赤いゼラニウムの花は、ソ連のシンボルである赤い星を表したものです。
中庭にはブドウと思われる実がなっていたりして、なかなか趣があります。
中庭にはベンチもあるので、ここでひと息付くのが良いと思います。
庭園とその他の施設
ツェツィーリエンホーフ宮殿の正面には、広大な庭園が広がっています。
時間に余裕があれば、庭園を散策するのも気持ちが良いと思います。
宮殿の建物に話を戻すと、駐車場方面からやって来る際の手前側には、2014年までホテルとして使われていたブロックがあります。
今は入口が閉鎖されていますが、ドアの上に書かれた「Schloss Cecilienhof」の前には「HOTEL」の文字がかすかに残っており、ここがかつてホテルとして使用されていたことが分かります。
ホテルとして使われていたブロックのさらに手前には、フードスタンドがあり、軽食や飲み物が売られています。また、トイレ(有料)もここにあります。
ちなみにツェツィーリエンホーフ宮殿の周辺には飲食店は全くないので、食事をしようと思ったらこのフードスタンドが唯一の選択肢になります。
まとめ
この記事では、第二次大戦後の世界秩序を決定した「ポツダム会談」の舞台であるツェツィーリエンホーフ宮殿の展示内容と施設の紹介、見どころなどをお伝えしました。
ツェツィーリエンホーフ宮殿を訪問する際は、「サンスーシ・プラスチケット」を購入して近隣のサンスーシ宮殿も見学するのがおすすめです。私たちも同日に二つの宮殿を訪問しました。
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